メカネコ/7

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メカネコ、雨の夜に輝く

第7章 挿絵

# メカネコ、雨の夜に

「システム警告……バッテリー残量、十二パーセント」

 電子音声が頭の中でぽろんと鳴ったとき、メカネコはすでに川沿いの道を全力で走っていた。

 その夜のネオサクラシティは、まるで空全体が怒っているみたいだった。横殴りの雨が街灯の光をぐちゃぐちゃにかき混ぜて、風がビルとビルの隙間をひゅうひゅうと鳴らしながら吹き抜ける。商店街のシャッターはとっくに全部下りていて、傘なんか差しても意味ないくらいの雨粒が、アスファルトをばちばちと叩いている。普段はにぎやかなネオサクラシティも、この時間ばかりはしんと静まり返っていた。まともな人間なら誰だって、こんな夜は家の中でぬくぬくしているはずだ。

 だから、センサーが反応したとき、メカネコは少しだけ眉をひそめた。眉なんてついてないけれど、LEDの色がすっとオレンジからブルーに変わったのが、その証拠だった。

 川沿いの公園に、人の気配がある。

 「こんな夜に?」

 疑問を感じる間もなく、足はもう動いていた。いつものことだ。「誰かが困ってる」という気配を感じると、頭で考えるより先にボディが動く。それがプログラムなのか本能なのか、メカネコにはいまだによくわからない。でも今夜は、その感覚がいつもよりずっとはっきりしていた。なんか、急がないといけない気がする。

 公園の入り口を駆け抜けると、雨に濡れた砂利がじゃりじゃりと音を立てた。街灯が一本、風に揺れながら弱々しく光っている。その薄い光の端っこに、ベンチがあった。

 そこに、小さな影が丸まっていた。

 近づくほど、胸の中のアラートが大きくなる。ベンチに腰かけた女の子は、膝を両腕でぎゅっと抱えるようにして体を縮こまらせていた。六歳くらいだろうか。雨でぐっしょりと濡れた髪が顔に張り付いて、ピンクのレインコートはもうぼたぼたと水が滴っていた。靴の中にも水が入っているのか、足元には小さな水たまりができている。唇の色が、少し青ざめていた。

「……まいったな」

 メカネコはそっと声をかけた。

「ねえ、大丈夫?」

 女の子がびくっと肩を震わせた。濡れた前髪の奥から覗く目が、真っ赤になっていた。ずっと泣いていたのか、それとも寒さで血が引いているのか、おそらく両方だ。しばらく固まっていたけれど、やがてふるふると首を横に振る。

「……まいご、なの」

 声がかすれていた。泣きすぎて喉まで疲れているのか、それともこのまま声まで消えてしまいそうで怖くて、小さくしか出せないのか。メカネコには後者に聞こえた。もう二時間近くここにいるらしかった。二時間。この雨の中で、たったひとりで。

 その言葉がメカネコの中でじわっと広がった。プログラムが感情を処理しているのか、それとも別の何かなのか、メカネコには正確にはわからない。でも確かに、何か温かくて重たいものが胸の奥に落ちた気がした。

「大丈夫だよ。ここにいるよ」

 まず言葉を、と思った。機能とかメカとかより先に、声が出た。できるだけゆっくり、できるだけやわらかく。LEDをそっとオレンジに戻す。怖くない色。「あたたかい」色。

 女の子の肩が、ほんのすこしだけ下がった。

 次に、胸のパネルをぱかっと開く。内側の精密なメカが夜の空気の中でかすかに光った。照明機能を最大出力で起動すると、じわあっとオレンジ色の光が広がって、ベンチの周りを柔らかく包んだ。さっきまで暗くて輪郭もはっきりしなかった女の子の顔が、ちゃんと見えるようになる。その顔は怖かった。子どもの顔がこんなに強張るんだ、とメカネコは思った。もっと早く来れればよかった。

「システム警告……バッテリー残量、十パーセント」

 電子音が静かに鳴る。照明を最大にしたからだ。でも今は気にしない。

 続けて、体側の小さなヒーターパネルを展開した。猫型のボディの脇腹あたりに隠れているそれは、本来は寒い季節に自分のボディを温めるための機能だったけれど、今夜はそんな使い方をしている場合じゃない。じんわりとした熱がメカネコの体表に広がって、女の子の方へ向けてそっと流れていく。

「ちょっとだけ、あったかくするね」

 女の子がおずおずと手を伸ばした。メカネコの腕に、冷たい小さな指先がそっと触れた。

「……あったかい」

 その一言で、なんかいい、ってメカネコは思った。いつもの感覚だけど、今夜は特にそれが大きかった。

 でも今は、感傷に浸っている時間はない。

 通信アンテナを全力展開する。ぴんっと背中のアンテナが伸びて、シルバーのボディの上で雨粒が弾かれた。これまで助けてきた商店街の人たち、公園で出会った顔なじみたち、そしてこの町で少しずつ繋がってきた人たちへ、一斉にシグナルを送る。座標、状況、緊急度。文字にしたら数行のデータだけど、メカネコが送れる「助けて」の精一杯だった。

「システム警告……バッテリー残量、八パーセント」

 数字が落ちていくのがわかる。照明、通信、ヒーター。三つの機能を同時に動かしているから、消費が普段の倍以上だ。八パーセント、七パーセント——画面の数字がじりじりと下がっていく。

 でも女の子の唇の色が少しずつ戻ってきていた。震えも、さっきより小さくなっている。

 それでいい、とメカネコは思った。数字は下がっても、この子が温かくなっているなら、それでいい。プログラムがそう判断しているのか、心がそう感じているのか、どっちでもよかった。

 五分後、公園の入り口から傘を持った人影が現れた。

「おい、メカネコか!?どこだ!」

 八百屋のおじさんの声だった。いつもの野太い声が雨音を突き破って飛んでくる。メカネコが照明を最大にしているおかげで、すぐに場所はわかったらしい。おじさんが大股でこちらへ歩いてくる足音が、じゃりじゃりと砂利を踏む。

 続けて、もうひとつの足音。またひとつ。

 商店街で豆腐屋を営む田中さんが、折り畳み傘を半分しか開かないまま走ってきた。雑貨屋の姉妹が並んで、傘を二本差しながらやってくる。パン屋のお兄さんが自転車を押しながら、泥をはねながら坂を下ってくる。

 そして最後に、息を切らした小さな人影が雨合羽を着てよたよたと走り込んできた。

 おばあちゃんだった。

「メカネコちゃん!あなたが呼んでくれたんだね!」

 雨合羽のフードがずれて、白い髪がびしょ濡れになっていたけれど、おばあちゃんはそんなこと全然気にしていなかった。息を整える間もなく、まっすぐ女の子のそばへ歩いていって、「ああ、よかった、よかった」と繰り返しながら、小さな体をすっぽり包むように抱きしめた。

「こわかったねえ。でも大丈夫だよ。もう大丈夫だから」

 女の子が、おばあちゃんの腕の中で声を上げて泣いた。さっきまでかすれていた声が、一気にあふれ出すみたいに大きくなった。泣いていい場所が、やっとできたからだ。

 八百屋のおじさんが傘を女の子の頭の上に差し出しながら、ちらっとメカネコを見た。

「よく連絡してくれたな。お前、バッテリー大丈夫か」

 そのとき、メカネコのLEDがちかちかと点滅した。

「システム警告……バッテリー残量、三パーセント」

 ヒーターが自動でオフになって、照明が少し暗くなる。アンテナがゆっくりと折り畳まれていく。通信機能が優先度を下げて、ひとつひとつの機能が、静かに眠りにつくみたいにシャットダウンしていった。

 足元がふわっとしてきた。うまく歩けないかもしれない。でも、ここにはもうちゃんと人がいる。おじさんも、おばあちゃんも、田中さんも、雑貨屋の姉妹も。女の子は一人じゃない。

 メカネコはゆっくりとベンチに腰を下ろした。

「……まあ、いっか」

 ぽつりとこぼれた言葉は雨の音にかき消されたけれど、LEDがぽわっと黄色に光った。「よろしく」のサイン。あとはみんなに任せた、という意味でもある。

 女の子がおじさんの傘の下に入れてもらって、ようやく泣き声の合間に「ありがとう」と言えた。その声がメカネコのセンサーに届いた瞬間、バッテリーが二パーセントを切った。

 世界が、少しずつ遠くなっていく。

 雨の音も、みんなの声も、だんだんとノイズみたいに混ざり合って、どこか遠いところから聞こえてくる感じになってきた。でもメカネコは、焦らなかった。この町に、ちゃんと人がいるから。自分がいなくなっても、この人たちがいるから。

 それが、不思議と怖くなかった。

 LEDが最後にぽわっと一回光って、それから静かに消えた。

  ◇

 夜明けには、雨が上がっていた。

 雲の隙間から朝の光が差し込んで、濡れたアスファルトをきらきらと照らしている。水たまりに空の色が映って、昨夜の嵐が嘘みたいに静かな朝だった。

 公園のベンチに、ぽつんとメカネコが座っていた。

 その周りに、人が集まってきた。八百屋のおじさんが長い充電ケーブルを手に持って、「ちゃんと調べておいてよかったぜ」と照れくさそうに鼻をこすっている。田中さんがモバイルバッテリーを抱えてきた。雑貨屋の姉妹が「昨日のうちに買っておいたんだ」と言いながら、予備のケーブルを差し出す。おばあちゃんが、手編みのブランケットをメカネコの膝の上にそっとかけた。防水加工のボディには必要ないかもしれないけれど、おばあちゃんの気持ちがそうさせたのだろう。

 ケーブルが接続されて、電力が流れ込んでくる。

 「システム起動……バッテリー充電中」

 電子音が静かに鳴った。

 メカネコはゆっくりと目を開けた。LEDがじわっとオレンジ色に灯る。「まあまあ良い気分」のサインだ。視界にネオサクラシティの朝の空が広がって、雨上がりの空気がセンサーに入ってきた。濡れた土の匂いと、どこかから漂ってくるパンが焼ける匂いと、朝の光の眩しさ。

 周りに顔がある。みんな、ほっとした顔をしていた。

 なんかいい、とメカネコは思った。

 バッテリーの数字がじわじわと上がっていくのを感じた。