第4章
メカネコ、心と向き合う

メカネコは特に目的もなく、川沿いの遊歩道をてくてく歩いていた。シルバーのボディが午後の陽光を受けてぼんやり光って、通り過ぎる自転車のおじさんが「なんだあれ」という顔でチラッと振り返っていったけど、メカネコは気にしない。こういう反応にはもう慣れていた。
そのとき、センサーが何かを捉えた。
明確なアラートじゃない。もっとぼんやりした、空気の変化みたいなもの。メカネコは足を止めて、土手の斜面に視線を向けた。
女の子が一人、座っていた。
小学校の高学年くらいだろうか。紺色のスクールバッグを隣に置いたまま、膝を胸に引き寄せて、川の向こうの何もない中間地点をぼんやり見つめている。見ているようで、何も見ていない、そういう目だ。風が彼女の髪をふわっとなびかせたけど、それにも気づいていないみたいだった。帰り道の途中で突然足が止まってしまった、そんな感じ。
メカネコのLEDがすっとブルーに変わった。
でも今回は、なんか違う。財布を落としたとか、荷物が重すぎるとか、そういう「目に見える困りごと」じゃない。センサーをフル稼働させてスキャンをかけても、物理的な問題は何も検出されなかった。落とし物なし。怪我なし。危険なし。データ上は、何も問題がない。
なのに、LEDはブルーのままだった。
メカネコはしばらくその場で立ち止まって、女の子の横顔を眺めていた。膝を抱える腕に力が入っていること。視線が定まっていないこと。バッグの持ち手を持とうとして、でも持てないでいること。数字には出てこない「しんどさ」みたいなものが、なんとなく伝わってきた。
「……ねえ、どうかした?」
声をかけると、女の子はびくっと肩を震わせて振り返った。目が丸くなって、メカネコをまじまじと見つめる。驚いた表情が数秒固まって、それからゆっくり言葉が出てきた。
「……猫? でも、光ってる」
「メカネコっていいます」
メカネコは土手の端まで近づいて、草の上に腰を下ろした。隣に座るでもなく、少し距離を置いて。急に近づいたら、びっくりさせてしまいそうだったから。
「なんか、しんどそうだなって思って」
女の子はまたしばらく黙った。川の水音がしばらく二人の間を満たした。風が草を揺らして、遠くで鴨がばしゃんと水を蹴る音がした。
女の子の視線が、少しだけ動いた。メカネコから川へ。川からまたメカネコへ。何かを決めようとしているみたいに、ゆっくり息を吸って。
「……友達と、言い合いになった」
ぽつり、と落とすみたいに言った。
「仲直りしたいんだけど、何を言えばいいかわかんなくて」
声がかすかに揺れていた。怒っているわけじゃない。泣きたいわけでもたぶんない。ただ、どうしたらいいかわからなくて、足が止まってしまった、そういう揺れ方だった。
メカネコは考えた。
アームを出しても意味がない。荷物を持ち上げても解決しない。データベースを検索して「謝るときの例文集」みたいなものを引っ張り出しても、たぶん、それは違う。LEDがくるくると色を変えながら、メカネコはしばらく黙って、川の流れを眺めた。光がきらきらと水面を滑っていく。
正直に言うしかない、とメカネコは思った。
「ロボットだから、気持ちはよくわかんないんだけど」
女の子がちらっとこちらを見た。不思議そうな顔で、でも聞いてくれている。
「その子のこと、まだ好きだって思ってるんだよね?」
一瞬の間があった。川風が二人の間を静かに通り過ぎた。
女の子がこくん、とうなずいた。小さいけれど、迷いのない動きだった。
「それ、そのまま言えばいいんじゃないかな」
メカネコはゆっくり続けた。
「難しい言葉、いらないと思う。うまくしゃべろうとしなくていいんじゃないかな、たぶん」
また沈黙が来た。でも今度は、さっきとは少し質が違った。重くない沈黙だった。川が光を受けてきらきら揺れていて、草の匂いが風に乗ってふわっと漂ってくる。女の子の肩が、ほんのわずか、下がった気がした。膝を抱えていた腕の力が、少しだけゆるんだように見えた。
女の子がすっと立ち上がった。スクールバッグの持ち手を握って、一度だけ深呼吸をして。
「……言ってみる」
さっきより声がはっきりしていた。細いけれど、まっすぐな声。川の音よりも小さいのに、なぜかちゃんと聞こえた。
「ありがとう、メカネコ」
それだけ言って、土手の道をかけていった。スクールバッグが背中で揺れて、ポニーテールが風にふわっとなびいて、すぐに角を曲がって見えなくなった。
メカネコはしばらく、その場に座ったままでいた。
走り去った方向を眺めながら、なんとなく考えていた。自分には決まった目的がない。誰かに「これをしろ」と命令されたわけでもないし、設計図に「こうあるべき」と書かれているわけでもない。アームも、センサーも、データベースも、今日はほとんど役に立たなかった。
でも。
ただそこに座って、ただ話を聞いただけだったけど。それでも、女の子の声が「言ってみる」に変わった。肩の力が抜けた。足が動いた。
それって、悪くないかもしれない。
川がきらきら光っている。鴨がまた一羽、のんびりと流れに乗っている。草がさらさらと揺れて、夕方が近づいてきた空の色が、少しだけオレンジがかってきた。
メカネコのLEDがゆっくりと、色を変えた。
あたたかいオレンジ色。「まあまあ良い気分」のサイン。でも今日のこれは、いつものそれより、ちょっとだけ深い色をしているような気がした。自分のセンサーがそう言っているわけじゃない。ただ、なんとなく、そう感じた。
メカネコはゆっくり立ち上がって、川沿いの道をまた歩き始めた。どこへ行くかは決まっていない。でもまた、誰かの「気配」を感じたら、足が勝手にそっちへ向かうのだろう。それでいい、とメカネコは思った。それで、たぶん、いい。