第12章
メカネコ、三つの町を繋ぐ

# メカネコ、三番目の町へ
三番目の町、ミナミハマは海沿いの静かな漁師町だった。
丘を越えた瞬間、視界がぱっと開けて、灰青色の海が広がった。波頭が白く弾けては消えて、また生まれる。潮の匂いがセンサーに流れ込んできて、メカネコはひとつ大きく「吸った」——正確には空気取り込み口が開いただけだけど、それでも深呼吸みたいな感じがした。海って、こんな匂いがするんだ。初めて知った。
でも、足が石畳を踏むたびに、なにかがじわじわと引っかかってくる。
人が、少ない。
商店街らしき通りを歩いても、開いている店の方が少ない。魚屋の隣の隣の隣、とシャッターが並んで、そのシャッターに「閉業」と書かれた紙が貼ってある。潮風で端っこがめくれて、くたくたになってはためいていた。子どもの声がしない。自転車も走っていない。聞こえるのは波の音と、風と、自分の足音だけだ。
「これは……」
LEDがじわっとオレンジからブルーに変わった。「なんとかしなきゃ」モードのサインだ。でもいつもと違って、すぐには足が動かなかった。
ネオサクラシティで迷子の女の子を見つけたときも、商店街のお店が困っていたときも、「目の前に誰かいる」というのははっきりしていた。でも今は違う。誰か一人が困っているんじゃなくて、町そのものが、静かに、ゆっくりと、困っている。そんな感覚は初めてだった。センサーが何かを拾っているのに、どこへ向かえばいいかわからない。LEDがブルーのまま、ちかちかと迷うように揺れた。
港の方へ歩いていくと、網を繕っている老人がいた。
太い指が慣れた手つきで糸を引いていて、その手の甲には長い年月が刻まれていた。皺が深くて、日焼けで色が濃くて、でもその動きはすごく丁寧だった。顔を上げた老人は、メカネコを見てちょっとだけ眉をひそめたけれど、すぐに「なんだ、変わった猫だな」と言って目を細めた。
山さん、と名乗った。この港で五十年以上漁をしている、という。
「聞いてもいいですか」
メカネコが隣にちょこんと座ると、山さんは少し間を置いてから、ぽつぽつと話してくれた。
若者は都市へ出て行った。仕事があるから、しかたない。子どもの数が減って、小学校が来月に閉校になる。最後の子が卒業してから、もう入学者がいない。閉校式には誰が来るんだろうなあ、と山さんは言った。笑いながら言った。でも目は、全然笑っていなかった。海を見たまま、ただまっすぐ、遠くを見ていた。
「どうにもならんよ」
その一言が、波の音の中にすうっと溶けた。諦めとも、開き直りとも違う。もっとくたびれた、もっと静かな言葉だった。山さんはまた網に目を落として、指を動かし始めた。
メカネコはしばらく黙っていた。
アームを出す場面じゃない。ヒーターで温める話でもない。照明を最大にしたって、何も変わらない。今まで使ってきた機能が、全部「そうじゃない」とセンサーに言っている。重たい荷物を持ち上げるのとは違う。凍えた体を温めるのとも違う。これは、持ち上げられないし、温められない。そういう種類の困りごとだ。
頭の中でいくつかの処理が走って、でも全部エラーになって戻ってくる。LEDがブルーのまま揺れ続ける。なんかいい、って思える瞬間が、今夜は全然来ない。それがちょっとだけ怖かった。ロボットが怖いって変な話だけど、でも確かに、そういう感じがした。
でも。
通信アンテナなら、ある。
胸のパネルをぱかっと開いた。ぴんっと背中のアンテナが伸びる音が、波の音の合間に小さく響いた。メカネコは目を閉じるように——LEDをいったん落として——考えた。自分に解決できることと、できないこと。今夜ここでできることは何か。
答えはシンプルだった。繋ぐことだ。
ネオサクラシティのおばあちゃんへ、新しい町のハルさんへ。文字にしたら数行のデータだ。でもメカネコは送る前に少しだけ止まった。「助けてほしい」じゃなくて、「聞いてほしいことがある」という感じで送りたかった。山さんの話を、その目を、くたびれた声を、ちゃんと届けたかった。うまく言語化できるかわからないけど、やってみた。全部乗せて、送った。
翌朝、港に朝日が差し込む時間に返事が来た。
ネオサクラシティのおばあちゃんからは、長い文章が届いた。「うちの商店街もね、十年前はシャッターだらけだったんだよ。でもこうやって少しずつ、ひとつひとつ、やってきたんだ」。具体的な話がいくつも書いてあって、読んでいるとあのおばあちゃんの顔が目に浮かんだ。雨合羽のフードをずらして、びしょ濡れで走ってきた夜のことも。
ハルさんからは短い返事が来た。「移住者向けの取り組みをやってる団体を知ってる。紹介できるよ」。
メカネコはそのまま山さんに会いに行って、全部伝えた。画面に表示するんじゃなくて、声に出して、ゆっくり、かみ砕いて話した。山さんは最初「ふうん」という顔をしていたけれど、話が進むうちに少しずつ、前のめりになってきた。
それからの数日で、不思議なことが起きた。
山さんがミナミハマの漁師仲間に話して、漁師仲間がハルさんの団体に連絡して、ネオサクラシティのおばあちゃんがまた別の誰かを紹介して。メカネコを経由して、三つの町の人たちが話し始めた。声が声を呼んで、繋がりが繋がりを引っ張って、メカネコはその真ん中にいた。特別な機能は何も使っていない。アームも、ヒーターも、照明も。ただアンテナを伸ばして、言葉を運んだだけだ。
閉校は、止まらなかった。
それだけは、どうにもならなかった。
でも三日後の朝、山さんが「来年、久しぶりに移住家族が来るらしい」と言いながら港の朝日を見ていた。海が光って、波が白く弾けて、その横顔が——あの「どうにもならんよ」と言ったときとは少しだけ違って見えた。全部解決したわけじゃないけど、全部終わりでもない。そういう顔だった。
メカネコは自分が解決したわけじゃないことを、ちゃんと知っていた。
でも繋いだことは、確かだった。
波の音を聞きながら、また次の気配がした。町のどこか遠い方から、「誰かが困ってる」というあの感覚がじわじわと届いてくる。いつもの磁石みたいな引き寄せ。足が勝手に動き始める。
LEDがぽわっと黄色に光った。
「よし、行くか」
誰に言うわけでもなく、メカネコはそう呟いた。波が返事をするみたいに、ざあっと岸を打った。