ドラゴン物語/3

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教室の中のドラゴン

第3章 挿絵

# 第3章「教室に持ち込んだ秘密」

「田中、なんかリュック動いてない?」

 一時間目の国語、先生がチョークを走らせてる最中に、隣の席の大輔がひそひそとそう言った。俺のリュックを指差す人差し指が、妙にまっすぐで、妙に正確で、心臓がぎゅっとなった。

「え、動いてないよ?気のせいじゃね」

 声が上ずった。自分でわかる。最悪だ。俺は平静を装いながら、机の下でそっとリュックのポケットに手を当てた。じんわりとした温もり。生き物の、確かな熱。こいつ、頼むからちゃんとしててくれよ、と念じるように押さえる。黒板の方向を向いた俺の目には、「春の訪れ」とかそういう感じの文字が映ってたけど、脳みそには一文字も届かなかった。

「そう?なんか見えた気がしたんだけど」

 大輔はあっさり前を向いた。セーフ。とはいえ背中をじわりと冷や汗が伝っていくのを感じながら、俺は結局、一時間ずっとそわそわしたままだった。先生の声が遠い。窓の外の五月の空が妙に青くて、授業中であることの意味をうまく感じられなかった。

 三時間目が終わるチャイムが鳴った瞬間、俺は椅子を引く音も気にせず立ち上がって、リュックをひっつかんで廊下に出た。トイレ、個室、一番奥。鍵をかけて、ようやく息を吐く。薄暗い個室の中でリュックのポケットをあけると、ドラゴンが当たり前みたいな顔でこっちを見上げてきた。エメラルドがかった鱗が、わずかな蛍光灯の光を受けてひっそりと光ってる。

「お前さあ」

 俺は小声で、できるだけ低く言った。「動くなって言ったらわかる? 動かないでいられる?」

 しっぽが、ぱた、と揺れた。

 ……わかってないな、これ。絶対わかってない。頭いい目してるくせに。

「湊?」

 突然、隣の個室から声がした。聞き覚えのある声。俺は目を閉じた。開けても現実は変わらなかった。ドアの下のわずかな隙間から覗いた靴が、見慣れた大輔の上履きだった。なんでトイレまで追ってくんだよこいつ。

「……入っていい?」

「よくない」

「でも見えたんだけど。鱗みたいなの」

 詰んだ。完全に詰んだ。俺はしばらく壁を見つめて、それからため息を一個だけついて、鍵を外してドアを開けた。

 大輔の目が、まん丸になった。

 口がぱかっ、と開いた。

 手のひらの上でドラゴンがのんびり尻尾を揺らしてる。こいつは自分が「やばい状況」だという自覚がたぶんゼロだ。

「……ドラゴン?」

「ドラゴン」

「本物?」

「本物」

 沈黙が落ちた。トイレの換気扇がぶーんと回ってる。廊下から誰かの笑い声が遠く聞こえた。大輔がじっとドラゴンを見て、それからぼそっと言った。

「かわいいな」

 俺は少し力が抜けた。こいつのそういうとこ、本当に嫌いじゃない。パニックになるわけでも騒ぐわけでもなく、開口一番「かわいい」って言えるやつ、なかなかいない。

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 昼休み、俺たちは誰も来ない裏庭の隅っこに移動した。フェンス沿いの草が伸び放題になってるゾーンで、日当たりはそんなによくないけど、その分人目にもつかない。学校の喧騒が遠くに聞こえる。俺はリュックからドラゴンをそっと出して、地面に降ろしてやった。

 こいつはしばらく周囲をきょろきょろ確認して、それから草に顔を近づけてくんくんと嗅ぎ始めた。タンポポの綿毛が一個、鼻先に触れてふわっと飛ぶ。それを目で追って、ちょっとだけ首をかしげた。なんかそれが、妙にかわいかった。

「腹減ってんのかな」

 大輔が俺の隣にしゃがみながら言った。ドラゴンが今度は俺の弁当箱をじっと見てる。ほぼ訴えてる。そのまっすぐな視線、意思が強い。

「試しにあげてみたら」

「お前なあ、学校の裏庭でドラゴンに飯やってる状況、自分でおかしいと思わないの」

「思うけど面白いからいい」

 大輔があっけらかんと言った。俺はため息をついてから弁当箱をあけて、箸でたまごやきをつまんでドラゴンの前に差し出した。こいつ、食べるのか?食べ物の概念、あるのか?

 ぱくっ。

 一口で消えた。

 しばらくもぐもぐして、それからドラゴンがまた俺を見た。「次は?」って顔してる。

「食えるじゃん」

「うまそうに食ってるな」

 俺たちは顔を見合わせて、なんか笑えてきた。裏庭の草が風に揺れて、遠くの教室からピアノの音が聞こえた。五月の昼間の空気は少しぬるくて、ドラゴンが俺の膝の上にのっそり移動してきて丸くなった。体温がじんわり伝わってくる。あったかい。

 思えば朝、公園のアスファルトで拾ったときより、こいつが落ち着いて見えた。環境に慣れてきたのか、それとも最初からこんな感じなのか。どっちにしても、俺の膝の上でくつろぐのは図々しいと思う。でも払いのける気にもなれなかった。

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 放課後、俺はドラゴンをリュックにしまいながら帰り道のことを考え始めた。問題は山積みだ。まず家にどう持ち込むか。そして持ち込んだとして、どこに隠すか。お母さんの目は節穴じゃないし、妹の七海は好奇心の化け物だ。部屋に何か変なものがあれば必ず気づく。

 クローゼットの上段。あそこだけ俺のスペースで、二人ともほとんど開けない。段ボール箱の中に入れておけば、とりあえずは乗り切れる。でも飯は?水は?そもそもこいつ、夜どうすんの。鳴く?大きい音立てる?

「どうしたの、難しい顔して」

 大輔が隣を歩きながら言った。

「いや、家での隠し方考えてた」

「バレたら?」

「考えたくない」

 正直なところ、バレたときの母親の顔を想像するだけで胃が痛い。絶対でかい声が出る。七海はたぶん喜ぶ。問題は母親だ。

「なんで俺、こんなことしてんだろ」

 気づいたら口から出てた。自分でも思う。朝、見なかったことにできたはずだ。七分で登校できたはずだった。体操服も汚れなかった。面倒なことに首を突っ込まなくてよかった。

「さあ」

 大輔が笑いながら言った。「でも楽しそうじゃん、お前」

 言われて、俺は少し黙った。

 楽しそう。そうか、そうなのか。言われるまで気づかなかったけど、よく考えたら今日一日、一秒も退屈じゃなかった。いつも授業中は時計ばっか見てるのに、今日は時間が経つのを気にしてなかった。いつもと違う何かが、カバンの中にいた。ただそれだけで、世界の見え方がちょっとだけ変わった気がした。

 リュックの中で、あったかいものがゆっくりと息をしてる。

 まあ、もう少しだけ、一緒にいてもいいか。

 そう思いながら、俺はいつもと同じ帰り道を歩いた。でも今日は、なぜかいつもより短く感じた。

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