三毛猫メルの冒険/15

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川沿いの希望

第15章 挿絵

# 川沿いの冒険と希望

公園を出て川の方角へ歩き始めると、景色がぐんと変わった。

ビルが消えた。あんなにずらっと並んでた高い建物が、気がつけばどこかに行ってて、代わりに空がどーんと広がった。灰色だった空が、今日は薄いブルーで、風がふわっと毛並みを撫でていく。こんなに空が広いのって、路地裏じゃ絶対に見られなかった。

でも、感動してる余裕は、あんまりなかった。

どこまでも続く灰色の川が見えてきたとき、わたしは思わず足を止めた。橋が大きくて、堤防が高くて、水の音がごうごうごうって、ずっと鳴り続けてる。川の匂いがした。泥と水草が混ざったような、重い匂い。

それを嗅いだ瞬間、頭の中にぶわって広がった。

濁流。冷たい水。真っ暗な中でもがいてた、あの夜。

足先がすっと冷たくなった。肉球に力が入らなくなる感じがして、その場にへたり込みそうになった。怖い。川が怖い。水が怖い。もう一度あの中に落ちたら、今度は段ボール箱に引っかかる保証なんてない。

でも。

お母さんが、ここを歩いてたかもしれない。

それだけで、すくんだ足が、また前へ出た。

堤防の端を慎重に歩いた。クロに教わったとおり、壁に沿って、端っこを。川の音がうるさくて、水が近くにあるだけで身体がびくびくするけど、それでも一歩ずつ。茂みの葉っぱが風でざわざわ揺れてて、その音が怖い記憶と重なって、何度も心臓がびくんってなった。

そのとき、茂みの中に何かがいるのに気がついた。

白と灰色のまだら模様。ひょろひょろに痩せた猫が、身体を丸めてうずくまってた。怪我でもしてるのか、動かずにじっとしてる。

「あの、ちょっと聞いていいですか」

わたしが声をかけると、まだら猫は顔をのろのろと上げた。黄色みがかった目が、しばらくわたしをぼんやりと見てた。

「先日の大雨で……この川沿いに、オレンジ色の猫が来てたって、聞いたことありますか」

声が震えないように、一生懸命に力を込めた。まだら猫はちょっと目を細めて、何かを思い出すみたいにゆっくり考えた。わたしの心臓がばくばく脈打つ。お願いだ。何か知ってて。

「……オレンジ色ね」

まだら猫がぽつりと言った。

「いたよ。三日くらい前かな。子猫の名前を叫びながら、ずっとこのあたりを歩いてた」

わたしの全身が、ぶわってなった。

「……なんて叫んでましたか」

「『メル、メル』って。ずっと。かなり必死な顔してたよ、その猫」

心臓が、とんでもない勢いで跳ねた。耳の奥がわんって鳴った気がした。メル。わたしの名前だ。お母さんがここで、わたしの名前を叫んでた。

生きてる。ちゃんと探してくれてる。

喉の奥が熱くなって、声が出なくなりそうだった。それでも、必死に次の言葉を押し出した。

「どっちへ行きましたか」

「橋を渡って、向こう岸の方へ。川下の方だったかな」

「ありがとうございます!」

わたしはお礼を言って、橋に向かって走り出した。足がまだふらついてる。クロと三日間動き回って、昨日の野良犬から逃げて、今日は朝からずっと歩いて、肉球にずっしりとした疲れが積み重なってた。でも止まれない。止まったら、また遠ざかる気がする。お母さんとの距離が、また伸びていく気がする。

橋はでかかった。

思ってたより、ずっとでかかった。欄干の向こうに川が見えて、あの雨の日より少し水位が下がってるけど、それでもまだ流れが速い。渡り始めると、橋の上の風がびゅうって吹きつけてきて、毛並みが一気に逆立った。足元にある細い隙間の向こうに川が見えて、足がすくんだ。

こわい。こわい。こわい。

でも、ここを渡った先にいるかもしれない。

歯を食いしばって、一歩ずつ。欄干の根元を壁代わりに、川を見ないようにして、ひたすら前だけ向いて歩いた。橋の向こう端が見えてきたとき、やっと肺の中の空気が全部出てきた気がした。

渡り切った。

向こう岸で思い切り深呼吸すると、川の匂いより草の匂いがした。こっちは公園みたいになってて、ベンチが何個か並んでる。木が生えてて、その下に落ち葉がたまってる。

そのベンチの一つに、見覚えのある姿があった。

ランドセルを背負った女の子。パンを手に持って、友達と並んで座ってて、こっちを見てた。

「あ、さっきの三毛猫!」

女の子がぱっと顔を輝かせた。昼間の光の中で見ると、目がくりくりしてて、ほっぺたが丸くて、笑うと歯が見えた。隣の友達も、大きな目をまん丸にしてわたしを見てる。

「お母さん、まだ見つからないの?」

わたしは精一杯、にゃあって鳴いた。

女の子はベンチから降りて、ちょっとだけしゃがんで、わたしの目の高さまで近づいてきた。それからパンを一切れ、そっと差し出してくれた。さっき茂みで嗅いだ川の匂いとはまったく違う、ふわっとした甘い匂い。

「絶対いるよ。頑張れ」

その言葉が、ちゃんとわたしに届いた。人間の言葉はわからないはずなのに、なんでだろう、意味がわかった気がした。温かくて、まっすぐで、嘘がない声だったから。

わたしはパンをひとかじりして、女の子を見上げた。

また、目の奥がじんってした。

身体にぽっと火がついたみたいな感じがした。疲れてるのに、足の裏から力が戻ってくる感じ。さっきまで今にも崩れ落ちそうだった何かが、きゅっとひとつにまとまるような感じ。

よし。もうちょっとだけ、進もう。

川下の方向を見た。まだ何があるか、全然わからない。知らない場所ばっかりだ。でも、お母さんがわたしの名前を叫びながら歩いた道だ。同じ道を、わたしも歩く。

わたしは女の子に向かってもう一度にゃあって鳴いてから、川下の方へ向かって、また歩き始めた。