第12章
公園の桜と新しい手がかり

# 第12章 公園の桜とオレンジの猫
桜の大木は、遠くからでも見えた。
葉っぱがこんもりと茂って、風に揺れるたびにさわさわって音を立ててた。あの木の下に、お母さんがいる。さっきの茶トラがそう言ってた。オレンジ色の猫が誰かを探し回ってるって、確かにそう言ってた。
わたしは走った。肉球がアスファルトを叩くたびに、ぱたぱたって小気味いい音がした。胸の中がどんどん熱くなる。喉の奥がじんとする。三日間、クロと一緒に食べて、逃げて、眠って、それでもずっと心の隅っこに引っかかってたもの。それが今、どんどん大きくなってた。
お母さん。お母さん。お母さん。
呼びながら走ってるみたいな気分だった。実際には声を出してなかったけど、足がその名前のリズムで動いてた。
公園の入り口には、錆びた鉄の柵があって、その向こうに砂地と、ベンチが並んでた。ふだんなら子供たちが遊んでるのかもしれないけど、今は静かだった。雨上がりの地面がまだ少し濡れてて、砂場に水たまりができてた。
その奥に、桜の木。
大きい。本当に大きかった。幹がどっしりと太くて、根元のあたりがこんもりと盛り上がってた。葉っぱの陰がひんやりとした影を落として、その根元に、確かに、オレンジ色の猫がいた。
わたしの足が、止まった。
一目でわかった。
体の大きさが、違う。
お母さんはもっとしなやかで、しゅっとして、でも抱きしめたらふわっとなる体型だった。目の前のオレンジの猫は、どっしりとして、毛並みが少し荒れてて、尻尾がお母さんより太かった。オスの猫だ。
胸の中の熱が、するすると引いていく感じがした。
「……お母さん、じゃない」
声に出したら、余計にわかった。ちゃんとわかった。わかってたくなかったけど、わかった。
「何、そんなに息切らして来たの」
オレンジの猫が、のんびりとした声で言った。警戒してる感じはなくて、日向ぼっこの邪魔をされたくらいの、ゆるい口ぶりだった。桜の木の根元に足を投げ出して、半分目を細めてた。
「ごめん……人違いで。あなた、誰かを探してるって聞いて」
わたしは息を整えながら言った。声がかすれてた。走ったせいだけじゃなくて、たぶん、ちょっと泣きそうだったからだ。
「探してる?いや、おれは昨日からここで日向ぼっこしてるだけだけど」
オレンジの猫は首をかしげた。茶トラの情報が、少しずれてたみたいだった。
わたしはへなへなと地面に座り込んだ。膝が折れた、というよりも、全身から力が抜けた感じだった。肩が落ちて、尻尾がだらりと地面に伸びた。三日間ずっと張り詰めてたものが、一気にぬけていく感覚。
公園のどこかで、鳥が鳴いてた。風が桜の葉を揺らして、さわさわって音がした。それだけで、あとは静かだった。
「でも」
オレンジの猫が言った。
のんびりした口調は変わらないけど、声がちょっと真剣になった。
「おれ、大雨の翌日、ここらへんをうろうろしてた。そのとき、川の方で流されてた猫たちを見た。何匹か、橋の下あたりで岸に上がってきてたよ。オレンジと白と黒の毛色の猫もいた。ここより南に行った、工場の多いあたりの下流だ」
わたしは顔を上げた。
心臓が、ぐっと跳ねた。
「本当に?」
「見間違いじゃなければね。雨の後でごちゃごちゃしてたから、はっきりとは言えないけど」
それで十分だった。十分すぎた。南に行く。工場の方角。川の下流。手がかりは、それだけあればいい。
わたしは立ち上がった。さっきまでへなへなになってた足が、不思議とまたしっかりしてた。諦めてなんかいない。まだ諦めてない。お母さんはどこかで生きてる。そっちに向かってる。わたしはそっちに行く。
「ありがとう」
オレンジの猫に向かって言った。猫はひらひらと尻尾を振って、また目を細めた。
公園を出ようとしたとき、声がした。
「あ、さっきの三毛猫!」
聞き覚えのある声だった。振り返ると、ランドセルを背負った女の子が、柵の外に立ってた。学校帰りなのか、工作で作ったらしい紙の動物を手に持ってた。何の動物かはよくわからないけど、耳がぴんと立ってた。
その子の目が、わたしを見てぱっと輝いた。
「また会えた。どこか行くの?」
わたしは鳴いた。うまく言葉にはできないけど、行かなきゃいけない場所があるって、どうにか伝えたくて。
女の子はしゃがんで、わたしと目線を合わせた。まん丸い目で、じっとわたしを見た。さっき会ったときより夕方の光が傾いてて、その光が女の子の顔をオレンジ色に染めてた。お母さんの毛並みに似た色だって、なんとなく思った。
「なんかすごく真剣な顔してる」
女の子はそっとつぶやいた。それから、小さく笑って言った。
「頑張って、三毛猫ちゃん」
その言葉が、わたしの背中をそっと押した。
ランドセルの音が遠ざかる前に、わたしはもう走り出してた。南へ。工場の多い方角へ。川の下流へ。お母さんのいるかもしれない場所へ。
夕日が長い影を地面に伸ばしてた。わたしの影も伸びて、走るたびにひょこひょこ揺れた。
まだ諦めてない。絶対に諦めない。