第5章
本気の教室、合格への道

# 第5章「全力で、走り抜けろ」
「よし、今日から最終追い込みだ!」
講師の声が教室に響いた瞬間、空気がピリッと変わった。
十月の朝特有の、少し冷たくて澄んだ風が窓の隙間から忍び込んでくる。黒板の前に立つ講師は、いつもより少しだけ表情が引き締まって見えた。試験まであと二週間。その現実がじわじわとみんなの肌に染みてくる。
いつもはそれぞれのペースで教科書をめくったり、スマホをチラ見したりしているクラスメイトたちが、なぜかその日は全員、まっすぐ前を向いていた。あたしも含めて。
*あ、こういう瞬間って、あるんだな。*
チープな表現かもしれないけど、空気が変わったってこういうことだと思った。バラバラだったみんなが、同じ方向を向いている。それだけで、なんだか胸が熱くなった。
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午後のグループ勉強会は、いつも使っている図書室の長テーブルに四人で集まった。
問題集をひらいていたあたしの隣に、ふいにプリントが差し出された。見上げると、不動産一家の美咲が少しだけ照れくさそうな顔をしていた。
「ここ、あたしも苦手だったんだよね。まとめたやつ、使う?」
都市計画法の用途地域の一覧表が、色分けして丁寧に整理されていた。美咲らしい、几帳面な字で。
「ありがと」
そう言ったら、なんか笑えた。
最初のころ、美咲はあたしにとってただの「ライバル」だった。いつも完璧な回答をして、講師にも一目置かれていて、正直ちょっと苦手だった。でも今は、同じゴールを目指して走っている仲間だって、自然に思えている。
こんな日が来るとは、入学したときには全然思わなかった。
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「法令上の制限、まだ怪しいとこある?」
隣に腰を下ろした翔太が、ペンをくるくる回しながら聞いてきた。
国土利用計画法の届出要件。確かにまだ頭の中でごちゃついてる。あたしは問題集のページをたぐりながら、正直に「ちょっとな…」と答えようとして、ふと、違うことが口をついて出た。
「…ねえ、翔太。試験終わったら、ちゃんと話したいことがあるんだけど」
自分でも驚いた。言おうかどうか、ずっと迷っていたのに。
翔太が鉛筆を止める気配がして、あたしは思わず視線をテーブルに落とした。心臓がうるさかった。沈黙が、二秒か三秒か続いた。
「うん、待ってる」
顔を上げると、翔太はいつもの穏やかな笑顔で言ってくれた。それ以上でも以下でもなく、ただ「待ってる」と。
胸のつかえが、ふわっと少しだけほどれた気がした。
*よし、今は勉強。*
気持ちを切り替えて、問題集を開き直す。でも口元が勝手に緩んでいるのが、自分でもわかった。
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休憩時間、自販機の前でひとりでストレッチをしていたら、美咲が隣に並んできた。
「ねえ、本音言っていい?」
缶コーヒーのプルタブを引きながら、美咲はあたしに視線を向けた。少し迷うような間があって、それから言った。
「あたし、ずっと親の期待のためだけに頑張ってたんだよね。うち、不動産会社だから、宅建取るのが当然みたいな空気があって。でも最近、自分のために合格したいって思い始めてて」
廊下の窓の外では、秋の陽射しが構内の木々を金色に染めていた。
あたしはしばらく考えてから、正直に言った。
「わかる。あたしも最初は親に言われたからだった。宅建なんて興味なかったし、ここに来た理由も『とりあえず』みたいな感じで。でも今は違う」
「何が変わったの?」
美咲が、少し不思議そうに聞いてきた。
*何が変わったんだろう。*
あたしは少し考えた。
「なんか……知ることが、楽しくなった。難しいことが、ちょっとずつわかるたびに、また次が知りたくなるみたいな。あと、ここで会った人たちのことも」
最後の一言は、うっかり口に出てしまった気がして、照れ隠しに缶コーヒーを自販機から取り出す。美咲は「ふうん」と言って、少しだけ笑った。
あたしも笑い返した。
美咲とこうして笑い合ったのは、たぶん今日が初めてだった。
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試験前日の夜、学校に残って最後の確認をしていたら、廊下で講師と鉢合わせした。
「まだいたの」と講師が言う。あたしは「緊張してます」って、なんの飾りもなく正直に答えた。
講師はそれを聞いて、少し目を細めた。
「最初に会ったときより、ずっといい顔してるよ」
その言葉に、心臓がひとつ、強く跳ねた。
恋心がないと言えば嘘になる。今でもそれは消えていない。でも同時に、あたしの中でその感情の輪郭が変わってきていることも、わかっていた。
講師はあたしにとって、夢の見つけ方を教えてくれた人だ。宅建の知識だけじゃなくて、「わからなくてもいい、向き合い続けることが大事」だって、背中で見せてくれた人。
憧れと感謝と、それからほんの少しの恋心。全部ひっくるめて、あたしにとって大切な存在。
それがはっきりわかったとき、不思議と気持ちがすっと軽くなった。
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試験当日の朝、集合場所の教室に全員が揃った。
窓の外はどこまでも青い秋晴れで、澄んだ光が机の上のテキストを照らしていた。みんな少し表情が硬くて、でも目には確かな火が宿っていた。
講師が教室の前に立って、一度全員の顔をゆっくり見渡してから、言った。
「君たちは既に合格している。今日はただ、それを証明するだけだ」
あたしは深呼吸をした。
不安も、緊張も、これまでの悔しかった日も全部、今日このカバンに詰めて持っていく。でも足取りは、不思議と軽かった。
翔太が隣で「行こうか」と言った。
「うん」
あたしは頷いて、会場へ向かった。
この学園での日々が、あたしを変えてくれた。それだけは、試験の結果がどうなっても、絶対に変わらない。