第7章
手記の始まり

# 旅人の手記 第7章「手記を待つ少女」
アルトが新しい町に着いたのは、夕暮れが橙色から紫に変わる、ちょうどその境目だった。
空の色が混ざり合う時間帯——どちらでもあり、どちらでもない、その曖昧さがアルトは嫌いじゃなかった。シルヴァーのエンジン音が少しずつ低くなり、タイヤが砂利道から石畳に乗り上げた瞬間、小さな振動が背骨を伝った。
「また来た」
エンジンがそう鳴いた気がした。いや、実際には何も言っていない。ただの排気音だ。でもアルトには、いつもそう聞こえた。町に着くたびに、シルヴァーが小さくそう呟く。まるで「俺たちはまたどこかに来てしまったな」とでも言うように。
町は小さかった。石造りの家が肩を寄せ合うようにして並んでいて、窓から洩れる灯りが黄色くやわらかい。遠くで誰かが夕食の支度をしているのか、焦がした玉ねぎと香草の匂いが鼻をかすめた。人の気配はあるのに、表通りに人影はなく、どこか眠たげな静けさが漂っている。
そのとき、町の入口の石柱のそばに、小さな人影があるのに気づいた。
年は十歳くらいだろうか。栗色の短い髪に、膝のあたりがほつれた白いエプロンドレスを着た女の子だった。両手で何かをしっかりと抱きしめ、じっとこちらを見ている。その目が夕空の紫を映して、奇妙なほど落ち着いていた。
シルヴァーを止め、ヘルメットを脱ぐ。
女の子は待っていたかのように駆け寄ってきた。小石を踏む足音がパタパタと響く。
「旅人さん? 手記、持ってる?」
アルトは眉を上げた。反射的に胸ポケットへ手をやった。指先に、使い込まれた革の感触が当たる。自分が旅を始めてから書き続けてきた、あのノートだ。
「なんで知ってる」
「お爺ちゃんが言ってたの」女の子は真剣な顔で答えた。「いつか旅人が手記を持ってくる、って。ずっと待ってたんだよ、私」
彼女が胸に抱いていたのは、古びたノートだった。表紙の革は乾いてひび割れ、角が丸くすり減っている。そこに刻まれた文字は、アルトには読めない文字だった。でも、そっと受け取って開いてみると——
筆跡が、どこか自分に似ていた。
インクの滲み方、行間の取り方、文章が途切れる場所。鏡を見るような、奇妙な既視感。
「誰が書いたんだ、これ」
「わかんない」女の子は少し首を傾けた。「でも、続きが書いてあるって、お爺ちゃんが言ってたから」
続き——その言葉が、アルトの胸の奥に静かに引っかかった。釣り針のように、ゆっくりと。
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その夜、宿のランプ一つの部屋で、アルトは二冊のノートを並べた。
古びたノートを最初のページから読み進めるにつれ、指先がかすかに震えてくるのがわかった。
星花村のことが書いてあった。夕暮れ時に到着したこと。宿の老女の話。薄紫色に輝く夜。少女の願いが叶って、彼女が泣いていたこと。
灰色の市場のことも書いてあった。賑やかな商人の町。盗難の噂。完全には解決できなかったあの夜のこと。
静寂の町のことも。人気のない石畳と、「あなたは何から逃げているのか」と問いかけてきたあの老人の声。
変わり続ける町も。別れを惜しんだあの夕暮れも。
全部、アルトが経験した話だった。出来事の順番も、細かい描写も、記憶の通りだった。
でも——書いたのは、アルトじゃない。
ランプの火が揺れた。窓の外で、どこか遠くの木が風に鳴った。アルトはしばらくの間、二冊のノートを交互に見比べて、それから天井を仰いだ。
頭の中で何かがぐるぐるしている。答えを出そうとするたびに、するりと逃げていく。
——俺が経験したことが、俺が書いていないノートに書いてある。
それは事実だった。ただそれだけが確かで、それ以外は何もわからなかった。でも不思議なことに、怖くはなかった。ただただ、静かに困惑していた。
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三日目の朝、空が白く明けていく頃、アルトは古いノートを持って女の子を探した。
彼女は昨日と同じ石柱のそばにいた。今日はエプロンではなく、青いジャケットを羽織っている。手ぶらで、ただそこに立っていた。まるでアルトが来ることを知っていたかのように。
「これ、返しに来た」
アルトが古いノートを差し出すと、女の子は首を横に振った。きっぱりと、一度だけ。
「それ、旅人さんのだよ」
「俺が書いたものじゃない」
「そうかな」女の子は静かに言った。「次の旅人に渡すために、あなたが書いたんだから」
意味がわからなかった。時間の順番が、頭の中でぐちゃぐちゃになる。書いた後に読んだのか、読む前に書いたのか、そもそも自分が書いたのかさえ——。
でも、それ以上の言葉は出てこなかった。女の子も何も付け加えなかった。ただ、朝の光の中で静かに微笑んでいた。
シルヴァーが日差しを受けて、銀色の車体をきらりと光らせた。まるで「そういうことだよ」と言っているみたいに。
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アルトは自分のノートを開いた。
今日の日付を書いた。それから少し考えて、一行だけ加えた。
——旅は、誰かに読まれるために続いている。
ペンを置いて、その一行を見つめた。完全に納得しているわけじゃない。でも、嘘でもなかった。
石畳を歩いてシルヴァーのもとへ戻り、またがる。シートのなじんだ感触が、いつもと同じだった。エンジンをかけると、低い音が朝の空気を震わせた。
女の子が石柱のそばから手を振っていた。大きく、何度も。
アルトは片手を上げて、それに応えた。
次の町へ向かう。今日も三日目だ。でも今度は——去ることが怖くなかった。むしろ、先に続く道がすこしだけ楽しみだった。
橙色の朝日の中に、シルヴァーが走り出す。
手記の続きは、まだ白紙のページに待っている。