第1章
普通の朝、空から落ちてきたもの

「うわっ、なにこれ——!?」
その声が出たのは、たぶん反射だった。考える前に、体が勝手にそう言った。
俺は毎朝おなじ時間に、おなじ道を歩く。家から学校まで徒歩十二分。途中にある公園の横を通って、信号をふたつ渡って、坂をのぼる。それだけ。毎日くりかえしてきた、完璧につまらないルートだ。歩きながら考えることも特になくて、頭の中はいつもなんとなくボーッとしてる。昨日の夜のゲームのこととか、給食のメニューどうだったっけとか、そういうどうでもいいことが流れていくだけ。
なのに今日、その公園の茂みから、なんかデカいものが落ちてきた。
ばさっ、って音がして、俺の数歩先のアスファルトに何かが落下した。乾いた衝撃音が朝の静けさを割った。最初は鳥かと思った。五月の朝はもう日差しがやわらかくて、公園の木々が風に揺れてる。カラスの一羽や二羽が枝から落ちることだってある。カラスにしちゃデカいな、とか思いながら近づいたら——全然ちがう。
うろこがある。
つばさがある。
しっぽがある。
そして、めちゃくちゃ小さい。
手のひらに乗るくらいのサイズで、ぐったりとアスファルトの上に横たわっていた。朝日の角度がちょうどそこに差し込んでいて、そいつの体がぼんやりと光って見える。
「……ドラゴン?」
声に出してみたら、なんかバカみたいだった。でもどう見てもそれ以外の言葉が出てこない。緑と青が混じったようなうろこは、角度によってエメラルドみたいにきらって光る。折りたたまれた二枚の翼は、薄い膜が透けていて、葉っぱの葉脈みたいな細い筋が走ってる。先がとがった細いしっぽはくるんとちょっとだけ丸まっていて、なんか、妙にかわいい。絵本で見たやつそのまんまじゃん。ファンタジーの世界から切り取って、そのまま現実に貼りつけたみたいに、ちゃんとそこにいる。
あたりを見回した。通勤中のサラリーマンが一人、スマホ見ながら歩いてる。イヤホンして、前も見ないで、自分の世界に完全に入ってる感じ。その人は俺のほうも、足元のこいつも、まったく気にしてない。風みたいに通り過ぎていった。朝の公園には他に誰もいない。ブランコが風に揺れて、ぎいって小さく鳴いた。
「えっ、俺だけ見えてんの?」
思わず口から出た言葉が、誰に届くこともなく朝の空気に溶けた。
もう一度、足元を見る。小さいドラゴンはまだそこにいた。消えてない。目をこすっても、まばたきをしても、現実はなんも変わらない。夢にしては地面のアスファルトがやたらリアルで、遠くで車のエンジン音がして、隣の公園の花壇の土のにおいがする。夢じゃない。なんかちょっと、胸が上下してる——息してる。生きてる。
どうしよ。
本気でそう思った。
時計を見たら、あと七分で予鈴が鳴る。急げばギリギリ間に合う計算だ。見なかったことにして通り過ぎるのが一番スマートな判断だってわかってる。俺には関係ない。俺には手に負えない。そういう話だ。それでもなぜか、足が動かなかった。磁石みたいに、そこに引っ張られてる感じがする。
しゃがんで、そっと指を近づけた。
うろこは思ったよりなめらかで、指先にひんやりした感触があった。その瞬間、小さいまぶたがぴくってした。
「……生きてるじゃん」
当たり前のことを言った。でも、そのたった一言が、なぜかすごく大事なことのように思えた。生きてる。こんな小さくて、こんなありえないものが、俺の目の前でちゃんと息をして、生きてる。
なんか、もうそれだけで十分だった。
頭の中で「遅刻」とか「めんどくさい」とか「どうすんだよ」とか、いろんな言葉がわあわあ騒いでたけど、全部どっか遠くに聞こえた。俺はカバンのチャックを開けて、体育袋から体操服のシャツを引っ張り出した。まあ今日体育あったんだけどな、と思ったけど、それより優先することができてしまった。シャツをそっと広げて、ちいさなドラゴンをくるむようにして持ち上げる。
思ったより軽い。
思ったより、あったかい。
手のひらの中で、小さな命がゆっくりと呼吸していた。それがなんか、胸のど真ん中あたりに刺さった。
学校には遅刻した。先生に何か言われた気もするけど、正直あんまり頭に入ってこなかった。カバンの中に、あったかいものがいたから。